そして、誰ひとりも、そこに残しておかれなかった!!!!

彼らは、わたしが彼らの神、主であるとを知ろう。わたしは彼らを国々に引いて行ったが、また彼らを彼らの地に集め、そこにひとりも残しておかないようにするからだ。エゼキエル39:28

何千人ものユダヤ人たちがエベネゼルの渡航により、オデッサからハイファに行く船の中で、神の愛が実践されるのを体験してきました。彼らの年令や健康状態に関わらず、全ての者が十分に世話を受けていました。特別な必要なあるものは、さらにケアを受けていた。昨年11月のエベネゼルの137回目の渡航も例外ではありませんでした。

 

3人の勇気のある女性たちがイスラエルに帰還するアリアとなる決心をしました。エレノールは癌をわずらい非常な苦しみの中にいました。ゼルダはアルツハイマー病、そしてアンジェリーヌは18ヶ月の子供の世話をしながら、彼女自身30週目の妊婦でした。

エレノールはエベネゼルが自分がイスラエルに帰還するための唯一の望みの道であることを知っていました。実際、彼女の癌は末期であり、エベネゼルのベースに着いたときには担架で運ばれたのです。飛行機に乗ってすわって旅をすることは彼女にとっては不可能でした。船医は注意深く彼女の状態を調べ、渡航を許可するに至りました。エレノールの年老いた母親は彼女と一緒に行く予定でしたが、渡航の許可が出て大喜びでした。彼女たちは二人ともイスラエルにいる家族との再会を心待ちにしていました。エレノールの旅は勇気のいるものでした。彼女は船の階段を上がるにも担架で運ばれなければならなかったのです。動く度に大きな痛みが伴いましたが、彼女の心は定まっていました。

船はオデッサを出ました。渡航のリーダーであるシャーリーがオリムの責任を負っていました。ゼルダの世話は決してたやすいものではありませんでした。アルツハイマー病によって彼女は何も出来ない状態でしたが、エベネゼルのチームは彼女を助けるために献身的でした。彼女は東ウクライナ地方のマリオポル出身でした。この気さくな女性はついにイスラエルにいる息子のもとへ到達することができたのです。

 

渡航の間に嵐が予想され、ゼルダは心が落ち着かなくなりました。シャーリーは病気の者たちが守られるように、とりなし手たちが強く祈るよう必要を感じました。彼らはゼルダが落ち着くように祈ったところ、主はその祈りに答えられました。彼女は12時間もの間ぐっすり眠ることができ、目を覚ましたときにはずっと落ち着いていました。

 

アンジェリーヌも、妊娠が船医を心配させていたのですが、助けが必要な状態でした。彼女は早産を心配していました。しかし、船医が彼女の世話をしている間、一人のエベネゼルボランティアが彼女の18ヶ月の子供の面倒を見ていたのです。

 

その間、シャーリーはエレノールを決して一人にはしませんでした。彼女は息苦しさと、痛みで苦しんでいました。エレノールの母親はエレノールの看病で疲れ切っていました。シャーリーは自分が彼女のかわりをするべきだと感じ、とりなし手に状況を報告しながら、夜の間もエレノールにつきそっていました。この時、エレノールの母親ははじめて娘の看病を自分以外の人に任せることができたのです。チーム全員が船のハイファへの到着を遅らせる可能性のある嵐が静まるように、祈りつづけていました。

シャーリーはエレノールに「船に乗っているとりなし手と、また世界中にいるとりなし手たちが彼女のために祈っていて、神様が彼女をイスラエルに無事に帰還させてくださると信頼している」と伝えました。エレノールは弱弱しくほほえみ、祈りを感謝している、と語りました。何時間も過ぎて後、嵐は驚くほど弱まり、ついにハイファ港に船は無事到着しました。

 

ゼルダは車椅子に乗って船を下りるとき、息子の姿を見て喜びの涙が彼女のほほをつたって流れました。アンジェリーナはその後もケアを受け、イスラエルで無事出産を迎えることが出来ました。エレノールはまだ船を下りる準備をしていました。エレノールの船室に入ったシャーリーは驚きを隠すことができませんでした。エレノールは身なりをととのえ、起き上がってすわっていたのです。痛み苦しみの中で乗船したのとは全く違う人のようでした。それは主の奇跡でした。その後、待機していた救急車がエレノールを病院へと運んでいきました。

吸収省の人々は、エベネゼルに彼らの世話を感謝していました。シャーリーとチームの人々は、疲れ切ってオデッサへ向かう船に乗り込みました。そして主がなしてくださった全てのことを感謝し喜びに満ちていました。

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