2006年9月私は18日間エルサレムに滞在しました。最初の1週間はエベネゼル緊急基金代表者集会の為に、最後の一週間は祈りの祭典に参加するために、そして途中の4日間はとりなしと観光のためでした。

 

 

 

 

 

エルサレムで行われた2つの集会はどちらもRamat Lachelホテルで行われ、私はそこに滞在しました。ホテルの名はラケルの墓が近くにあることに由来しますが、ここはまた六日戦争の戦闘の舞台でもありました。ロービー近くの床にガラス張りでふさがれた地下にあった武器弾薬を保管した地下道の跡を見ることができます。

メシアニックジューの牧師と友達になり、兵役でレバノンから戻ったばかりの彼は軍服姿のまま職務で収集した

 

 

 

 

 

 

 

 

弾頭を見せてくださいました。遠くに思われた戦闘がかなり現実的なものとして感じさせられました。

集会以外のフリータイムはJaffa Gate近くの旧市街の城壁の内側にあるホステルに宿泊するつもりでした。友人のメシアニックジュー牧師の猛反対で、ZION広場前(すなわち新市街の最も中心)にあるJerusalem Hostelに宿泊することにした。彼が言うには「城壁の内側にはアラブ人しか住んでいない。」とのことです。もちろんそれは本当ではありませんが、それを聞いたときに旧市街に対する複雑な思い(愛着と現実に対する嫌悪)があることを感じさせられました。

その牧師家族と共にホステルの部屋に入り、窓を開けると目の前にZION広場が広がっており大勢のユダヤ人の

 

 

 

 

若者達でごった返しているのが見えました。彼らはとりなし手なので、それを見て興奮し、大声を上げ涙を流し同胞の救いの為に祈り始めました。私はちょっと圧倒されましたが、とにかく主がここに導いてくださったことを実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

ベン・イエフダー通りはワイアレスLANスポットの試験地区に当たり、ホステルは通りのはずれにあるので室内でも電波を拾いワイアレス通信が可能でした。Skype Outを使えばインターネットを介してほとんど無料のような料金で日本に電話が可能となります。成田、イスタンブール、どこにおいても空港内で無料でワイアレスLAN網があり、これからの海外旅行は、小型のパソコンを携帯することが常識となっていくように感じました。

旧市街の城壁は観光の為に開放されており、かなりの距離を歩く事が出来ます。2つのルートの合計は城壁周囲の半分以上をカバーしています。城壁の上で「黙ってはならない」という名の祈りのグループに出会いました。彼らは毎日城壁の上にとりなしのチームを送り出し、まさに毎日黙っていないのです。

 

 

 

 

 

 

 

西壁の北側に地下トンネルがあり、そこから神殿の土台を見ることができます。観光ガイドブックには個人では入れてもらえないと書いているが、入ることができました。同行した友人が言うには毎回対応が異なり、断られたり、女性はだめであったり、毎回扱いが異なるとの事です。今回は私たち二人のためにわざわざユダヤ人のガイドが付いてくれました。祈祷所は上の段、下の段のに分かれており、上の段は男性用です。

「至聖所の土台石」と説明書きがされた地下の石壁の前で祈ることは、西壁(嘆きの壁)とはまた異なる特別な感動的な体験でした。

 

return