エベネゼルの活動に参加した日本人(2)

今回は昨年、ドイツのエベネゼル大会で奉仕をされた日本人ソプラノ歌手・工藤篤子さんを紹介したいと思います。

略歴

彼女は17歳で初めて福音に触れ、音大卒業後、1983年にスペインに留学した時、アメリカ人宣教師により救いに導かれました。同師の元で訓練を受け、1987年開拓伝道チームの一人として、ハンブルグに向かいました。その頃より、ヨーロッパでのコンサート活動も始まり、後に教会の伝道師として仕える傍ら声楽家として活躍していました。2000年11月、与えられた音楽の賜物を用いて、もっと人々に福音を伝えたいと強く切望し『工藤篤子音楽ミニストリーズ』を「ミッション・宣教の声」の助けにより設立しました。

イスラエルと関わられるきっかけは?

共に活動する日本人ピアニストのご主人がユダヤ人ということもあり、幾度もイスラエルを意識してきました。2000年10月にミニストリー設立の確認として行ったイスラエル旅行が私にとって大きな契機となりました。

エベネゼルとの出会いは?

2002年にダルムシュタット市のマリア福音姉妹会で、ドイツ・エベネゼルの奉仕をなさっているバーチ司祭(ドイツ国教会)と出会った事です。

その後、日本に住む友人よりグスタブ・シェラー氏の「出エジプト作戦」をいただき、さらに理解が与えられました。その後、導きにより2003年9月12日〜16日までの5日に渡ってのエベネセル、ドイツ大会での賛美奉仕をしました。

そのときの様子を工藤篤子さんのニュースレターから内容を編集してお伝えしたいと思います。


エベネゼル・ドイツ大会レポート

大会はハンブルクのエリム教会を借りて行われました。

私は母の死後、忙しさも相まって、気分的にも2ヶ月近く歌えない状態が続き、この日もまだ声が本調子になりきらない状態でしたが、賛美の時には導かれるように声が出ました。後で、あなたのような霊的賛美をいまだかつて聞いたことがありませんでしたと何人かの方から言われましたが、それは、豊かな御霊の御臨在によるもの以外のなにものでもありませんでした。大会に集まった人達の信仰が会場を御霊で満たしたのです。


地中海ソプラノと形容される彼女の澄んだ歌声は
驚くほどの太い音圧を感じさせます

大会では、アメリカ、ロシア支部の代表が、エベネゼルの働きと報告、そしてこれからのビジョンを熱く語りました。主のみこころを全うしようとする働きがどんなに困難を伴ない、またその為にどれ程の祈りが必要であるかアピールされました。


フィッシャーの働き

 私達の心を最も打ったのは、これまで奉仕をしてきたフィッシャーたちの証でした。エレミヤ16:16「見よ、わたしは多くの漁夫をやって−彼らをすなどらせる。」に従い、ユダヤ人を集める働きをする人たちをフィッシャー(漁師)と呼んでいます。世界中から集められた数百人のフィッシャーたちが、無給で人生の一部を失われたユダヤ人帰還の働きに捧げています。

 

フィッシャーのほとんどが20ー30代のそれぞれ主からみことばをいただき、明確な召命を受けて参加した若者達で

す。この人達は北の国で、不思議な主の導きによって出会わせてくださったユダヤ人の、物質的、肉体的、精神的苦悩と一体化し、彼らを助ける働きをしたのです。それは容易な事ではないはずです。しかし「漁師の働きはイエスを愛し、イエスの苦しみと一体化する事です。そこにこそ真実の喜びがあるのです。」と語るフィッシャーの顔は、天使のように輝いて見えました。

 

「死の家」から「生の家」へ

昔ハンザ同盟都市ハンブルクの経済中心地だった場所にコントーアハウスと呼ばれる建物があります。ここはユダヤ人事業家によって建てられたものですが、後に皮肉にも1942-1944年のユダヤ人大量虐殺に使われた毒ガスを作る会社がこの建物を使っていました。

「この呪われた建物が神の祝福で満たされるように」と何十年も祈ってきたクリスチャンがいました。そして、2000年、その建物の一階にエベネゼルのドイツ支部の事務局が入ったのです!多くのユダヤ人を死に導く「死の家」が、ユダヤ人を祖国に導く「生の家」となったのです。

エベネゼルの働きは大きな働きゆえ、攻撃も多いと聞きました。どうぞ、主のみこころがエベネゼルを通して着実に前進してゆきますよう、お祈りください。

工藤篤子音楽ミニストリーズ・ホームページ http://www.gpm.cc/~kudo/

 

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